医療と社会の境界線をなくす、医師のつくった世界一やさしいチョコレート

患者さんが書いた素敵な絵と共に

【HOPEFULなひと】
「HOPIUSの想い」をもとに、人類に希望を見出し、持続可能で愛ある世界を目指して活動している人たちを、取り上げる企画です。今回から、社会に変革をもたらすチャレンジをしている社会起業家へのインタビューを通して、希望的な未来を発信します。一人目は、医師で起業家の中村恒星さん。医療と社会をチョコレートでつなぐ中村さんからのHOPEFULなメッセージです。

世界でいちばんやさしいチョコレート

世界一やさしいチョコレート「andew(アンジュ)」は、2020年5月に中村さんが表皮水疱症の患者さんに向けてつくったチョコレートブランドです。

表皮水疱症は、皮膚の組織をつなぐタンパク質に生まれつき異常がある遺伝性の難病です。皮膚をわずかに刺激しただけでも、その場所に水ぶくれや傷ができてしまいます。さらに傷や炎症によって血液や体液が常に出ている状態になるので、栄養不足や貧血が起こりやすく、成長の課程で低体重・低身長になりやすくなってしまいます。また感染症にかかりやすいなど、日常生活を送るのが困難な病気です。

中村さんは、表皮水疱症のボランティアをする中で、患者さんから「ポテトチップを食べるとトゲのついた板を食べているくらい痛い」ということを聞いて衝撃を受けました。

表皮水疱症の患者さんとご家族と中村さん

そこで、チョコレートを通じて「栄養」と、食べる「楽しさや歓び」を届けたいと、表皮水疱症の方にも食べやすいよう低温でも溶けやすく、完全栄養食としての機能を持ち、そして誰が食べても美味しいチョコレートを開発しました。

発売して約5年。
今では治療中の方へのお見舞い、介護中の家族へのプレゼント、誰かを想う時の贈り物として広がり、毎年売上を伸ばしています。

販売を始めて1年ほどたったある日、一通の手紙が届きます。
余命がわずかの旦那さんのために、バレンタインのチョコレートとしてアンジュのチョコを贈りたいと思い、注文した女性。旦那さんはチョコレートが好物でした。
しかし、バレンタインを待たずして亡くなってしまいました。届いたチョコレートを仏壇に供え、一緒に食べながら想いを語ったという内容でした。

「自分が作ったチョコレートは、本当に「世界で一番やさしいチョコレート」になっているかもしれない。
人の気持ちに寄り添って、時には甘く、時には苦く、その人の人生に少しだけ彩を添えているかもしれない」

中村さん自身が起業の意義を実感した瞬間でした。

2023年5月には、妊婦さん向けの新ブランド「Enchamble(アンシャンブル)」を発表。つわりや胃の圧迫で十分な栄養が摂れない妊婦さんのために、葉酸や鉄を豊富に含んだチョコレートを開発しました。
「人によりそう優しい食べもの」を追求する中村さんの挑戦を辿ります。

創業のきっかけ:患者さんにとって苦痛な「食事」を、よろこびのひとときへ

幼少期から医療が身近だった

中村さんは2歳の頃に先天性の心臓病を発症し、その後も治療や手術を受ける幼少期を過ごしました。
2018年富山大学薬学部創薬科学科に進学し、脊髄損傷の治療薬の研究・開発に励みます。
研究の面白さを感じたものの、研究室では「医療の手応え」を実感することが難しく、「自分が情熱を燃やせる医療とは何か?」——その問いを胸に、学生時代を過ごしました。

ミャンマーでの医療ボランティアが転機に

「臨床の現場を知りたい」と思うものの、4年制薬学部では病院での実習がなく、日本国内で医療現場に入る機会が限られていました。
そんな中、NPO法人ジャパンハートのボランティアプログラムを通じて、ミャンマーの医療現場で実習できることを知りました。居酒屋でアルバイトをして30万円を貯め、ミャンマーへの切符を手にします。

ミャンマーでは英語も通じない患者さんとアイコンタクトやジェスチャーでコミュニケーションをとる日々。

「治療前に不安がる子どもの肩をぽんぽんと撫でているだけで、子どもが落ち着いてくる様子に、医療には、資格がなくても役立てることがあることを知りました」と言います。

同時に直面したのは「日本では簡単に治る病気で命を落とす人がいる」という現実。

国が異なるだけで、医療の質が大きく変わる一方で、患者さんの心に寄り添うことはどんな現場でも同じであることも実感しました。

ミャンマーでのNPOジャパンハートのボランティアに参加

ミャンマーでの経験を経て、研究者ではなく医療現場で患者と直接向き合う医師になることを決意し、北海道大学医学部医学科に編入。医師になるまでは研修医の期間も含めると5年かかります。
「その時間を医学の勉強だけでなく、他にも有効に使いたい」と考えたときに出会ったのが、MAKERS UNIVERSITY(メーカーズユニバーシティ)*でした。

*MAKERS UNIVERSITY:就職をせずに、大学在学中・卒業直後から、自分が信じた世界を実現するために起業家という道を歩むことを決意した次世代のイノベーターが集い、理想を追い求める私塾です。https://makers-u.jp/about

ポリシーは現場主義、まずは自分でやってみる

MAKERS UNIVERSITYは、大学在学中や卒業直後に起業を志す次世代のイノベーターが集う場です。
自宅のソファでぼーっとケータイのfacebookをみていたら、第四期生の募集広告をみて、「これだ!」とすぐに応募しました。
自分で一から作り上げたプロジェクトをプレゼンするユニークな20代が、世の中を動かそうと集まっていました。
同じ土俵、同じ目線で挑戦する同志たちと出会えたことが、中村さんの挑戦を後押しします。

中村さんは並行して、表皮水疱症の患者の会のボランティア活動を行っていました。

子どもたちは皮膚が布に触れるのが痛くて洋服を着るにも痛みが伴う、歯磨きをするのも痛い、女性は化粧することが難しい、そしてポテトチップを食べるとトゲのついた板を食べているくらい痛い、という症状を日常生活で抱えています。

特に中村さんの心を動かしたのは患者さんの「食の悩み」。
「食べること」は「楽しみ」ではなく、「苦痛」そのものでした。そんな方々に、何かできることはないかと模索しました。

「まず患者さんと同じ食事を体験してみよう」ーそう考え、介護食のドリンク剤を、毎日飲んでみることに。
「バニラアイスを凝縮したような甘さ。全部飲み込むのがやっと・・。これを毎日飲み続けるのは精神的にしんどい。3日でギブアップしました。」

私たちにとっては、食べることは楽しみや、癒しの時間ですが、患者さんにとって、食べることは苦痛の時間なんだと実感します。

このギャップに中村さんは愕然としました。

ただでさえ、苦しい闘病生活を送っていたり、不自由な生活を送っている患者さんに、食べることの楽しさ、歓びを味わってもらいたい!と、火がつき、中村さんの試行錯誤が始まります。

「おいしい」「食べやすい」「栄養豊富」を叶える食材の探求

「それで、自分もやってみようと思ったんです。」

まずは自らが目指す食材づくりを試してみること。
中村さんが常に自分で体験してみることで得てきた現場主義のポリシーがここでも発揮されました。
まずは、スーパーで食材を買ってきて「柔らかい」「栄養がある」「手軽」「おいしい」な食べ物を求めて実験を開始。

「買ってきた食材から”たい焼き”を選び、柔らかくするため、ミキサーにかけてみたときに、見た目も酷かったが、とにかく味が不味かった。たい焼きを形作るものは、あんこと皮が分かれていてそれぞれの食感があり、別々のものを口の中でミックスさせることでおいしいと感じることを初めて実感しました。」

たい焼きをミキサーにかけてみた時の様子


「柔らかい」をキーワードに残っていった食材が、「プリン」「ヨーグルト」「チョコレート」。

栄養を摂取できる完全食を目指していたので、届けたい栄養素をもつナッツ類との相性を考えた時、プリンでもヨーグルトでもなく「チョコレート」に辿り着きます。他に保存がきくこと、栄養価の高い他の食材と混ぜ合わせても食感を保ちやすいなど利点が重なりました。

そして何より、チョコレートは「バレンタイン」など、感謝や愛を伝える食べ物でもあります。

中村さんは「これこそが患者さんと社会をつなぐ最高の食材だ」と確信しました。

プロのショコラティエとともに

まずは、買ってきたチョコレートに栄養素を入れてミキサーにかけ、100均で買った猫の肉球型にチョコを流し込み、自宅の冷蔵庫で冷やしてみました。何度か栄養素を変えて繰り返すと美味しい組み合わせができます。

善は急げと、チョコレートのプロフェッショナルに開発を依頼するため、札幌で客として足を運んだことがある「サタデデイズチョコレート」というチョコレート専門店の門を叩きました。

「素人の自分が開発を依頼するなんて無謀では?」と思いながらも飛び込んだところ、サタデイズの秋元さんは快く迎え入れ、「半年間、無償でレシピ開発を手伝う」と申し出てくれました。

栄養学を学ぶ友人の協力も得ながら、試行錯誤する日々。
栄養価、食感、風味を改良し続け、ついに理想のチョコレートが完成しました。
クラウドファンディングで、目標の194%の支援を集め、2020年1月に株式会社SpinLifeを創業。
5月に、世界一やさしいチョコレート「andew(アンジュ)」をリリースしました。

製品名には、「and you(あなたとわたし)」—人とひとを繋ぐチョコレート、という想いを込めました。

中村さんの工房で出荷を待つアンジュのチョコレート

「いのち」と社会をつなぐ

中村さんは言います。

私は、医者で医療現場のど真ん中にいます。毎日患者さんと接する日常の中で、彼らの苦悩や不自由な生活をよく知っています。ただ一般生活者の方は、自分や家族など身近な人が病気にならない限り、知る術がない。医療は日常から離れていますし、日本の社会で触れられる機会が少ない。
そしていつ自分や家族が病気になるかわからない。

患者さんの世界を知ることは、実は「いのち」に触れる重要な機会です。

毎日こうして生きていることへの感謝、そしてこの奇跡のような「いのち」をどうやって使っていこうかと考えるきっかけにもなるんじゃないかと思っています。

特別な資格がなくても、医療の世界、病や障害を持って生きている人たちの世界に興味を持ってくれる人が増えたら、この世界はやさしくなるんじゃないかな、と。

アンジュのチョコレートを手にした方が、それまで気づかなかった電車内の足の不自由な方に目を向け、自然と席を譲る——そんな小さな優しさが広がっていくことを願っています。

表皮水疱症の患者の方々は日本に1000人ほど。日常の中で出会う機会は決して多くありません。しかし、チョコレートを通じて、彼らの存在を知ることができます。

私たちにとって当たり前のことが、彼らにとっては難しい。時に偏見の目にさらされることもあります。
けれど、彼らの存在を知ったとき、私たちの心には何かしらの感情が芽生えるはずです。

困難な状況にある人を思い、手を差し伸べる社会。

中村さんがチョコレートを通して描くその優しい世界は、きっと広がっていくだろうと確信を持ちました。

表皮水疱症の患者さんとご家族。大好きなアンジュのチョコレートと一緒に

株式会社SpinLife 中村 恒星 さん
岐阜県生まれ。医師。富山大学薬学部から北海道大学医学部医学科に学士編入。2020年1月に株式会社SpinLifeを創業し、代表取締役に就任。世界初の完全栄養食チョコレートである「世界一やさしいチョコレートandew-アンジュ-」を2020年5月に販売を開始。

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