難民映画祭『あの海を越えて』ー「個人としてどう在るか」を問われるー

私は3〜4年前からUNHCR協会を通じて難民支援に寄付を続けています。
その延長線上で、ずっと訪れたいと思っていた「難民映画祭」に初めて参加しました。
2025年で20回目を迎えるこの映画祭は、「ある日突然“難民”と呼ばれるようになった人たちにも、かけがえのない人生がある」という思いから始まり、これまで270作品を上映してきた歴史があります。

12月2日、イタリア文化会館で上映された『あの海を越えて ー47人の命を救った8人の友人とかつて救われた命がつながる』。
この作品は、観客の心に深い問いを残すものでした。

47名を救った8人の島民 ― 海の美しさと深い悲しみ

2013年、地中海・ランペドゥーサ島沖で起きた海難事故。
アフリカの戦争や紛争から逃れてきた500人以上が乗る船が難破し、多くの人が海に投げ出されました。

偶然、夜中に小型ボートで海に出ていた島民8人は、沈みゆく人々を発見し、次々と手を伸ばしました。
自分たちの命にも危険が迫る中、47名を救い上げました。しかし、その数十倍の命は救えなかった──その痛みは今も8人の胸に深く残り続けています。

作品は、8名のインタビューを軸に構成されています。
ランペドゥーサ島を囲む海の美しさと、語られる体験の痛み。その対比は胸を締めつけます。語りだけで構成されているにもかかわらず、彼らの口から語られる記憶はまるで映像のように鮮明で、当時の光景が浮かび上がるほどでした。

映画の終盤には、救出された難民の人々が島民と再会するシーンがあります。
難民にとってあの日は「もう一度生まれた日」。救出者を「父親」と呼び、家族のような絆を築いている姿に、ただ涙がこぼれました。

「助けること」が条例違反になるかもしれない現実

映画の中で特に心を動かされたのは、島民たちの勇気でした。
彼らは、目の前で溺れている人を助けることが「条例違反」にあたるかもしれないと感じながらも、迷わず手を伸ばしました。

救助そのものが厳密に「違法」というわけではありませんが、イタリアでは移民政策の厳格化により、救助活動が「不法移民のほう助」と解釈され、捜査や罰金の対象になるケースが増えています。
そのため、島民たちが「助けることが条例違反になるかもしれない」と考える背景には、こうした社会的・政治的状況があります。

一方で、事故前に巡視船が沈む危険を察知していた可能性も指摘されています。
確かな事実ではありませんが、島民たちは「無関心が多くの命を奪ったのではないか」という痛みを抱えていました。

巡視船の乗組員は“行政の組織員”として判断をすることになります。
人は組織の構成員になると、本来持つ良心や良識よりも「組織としての判断」が優先されてしまうことがある──この映画はその危うさを静かに映し出していました。

「個人としてどう在るか」を問われる

映画を見終えて強く感じたのは、私たちは“組織”の中にいると、知らないうちに個人の意思が小さくなってしまうということです。
会社や国、地域など、私たちはさまざまな組織に所属していますが、組織で動くとき、個人としてどう考えるかよりも「組織としてどう判断するか」を自然と優先してしまいます。

組織はしばしば全体最適を重視し、最適化されたルールによって運営されます。
そこでは管理や効率が基盤となり、命や人としての正しさが必ずしも中心に置かれているわけではありません。

では、一人の人間としての意思はどうでしょうか。
組織の枠を外れ、個人として立ち返ったとき、私たちはコミュニティの中で支え合い、自然の中で生かされている感覚を取り戻します。
ランペドゥーサ島の島民たちはまさに、目の前にある“命”そのものを基準に行動しました。

この映画を通じて、私たちは組織の一部としてではなく、「“個人”としてどう在りたいか」を改めて問われているのだと強く感じました。

難民映画祭で挨拶をする国連UNHCR協会事務局長 川合雅幸氏

映画制作のきっかけは難民と島民の「夕食会」

映画制作のきっかけは、2017年10月3日。
ランペドゥーサ島で開かれた、島民と難民の男性たちが偶然同席した夕食会でした。
そこで監督は、事故を越えて結ばれた人々の絆を知り、映画制作を決意したそうです。

12年が経った今も海難事故は絶えません。
島には住民の数を超える難民や移民が押し寄せることもあります。
それでも島民たちは、食料や衣類、薬を自発的に提供し続けていました。

政治的には厳しい移民政策が進む一方で、
現場に暮らす人々は、静かに誠実な支援を重ねている──その姿に深く心を動かされました。

日本にも根づく難民受け入れの歴史

イベントの後半では、数分の映像『ベトナムから逃れてきたシェフと日本人船長 ー36年ぶりの奇跡の再会』が上映されました。

ベトナム戦争後、迫害から逃れ海を渡った「ボートピープル」。
日本は1970年代後半から彼らを受け入れ、これまでに1万1000人以上のインドシナ難民が定住しています。

“難民支援”は、決して遠い国の出来事だけではなく、日本の歴史にも深く関わっているのだと再認識しました。

記録動画「ベトナムから逃れてきたシェフと日本人船長―36年ぶりの奇跡の再会」

2024年末時点で、紛争や迫害で故郷を追われた人は 1億2,320万人
難民4270万人、国内避難民7350万人、庇護希望者840万人。
国籍を持たず、基本的な権利を奪われている無国籍者は440万人にのぼります。

地球上で 67人に1人 が故郷を失っている状況は、もはや世界全体の問題です。

国連UNCHR協会のHPよる抜粋

無関心こそが悲劇を生む

映画を通じて、考えさせられたことは、私たちが現実の残酷さに圧倒され、心を閉ざしてしまうと、
世界は変わらず悲劇を生み続けてしまうのではないかということです。

誰かの尊厳を守ることは、私自身が尊厳を持って生きることにつながる。

島民たちの優しさや勇気の姿に、人としての「正しさ」が確かに存在していると感じ、胸が熱くなりました。

「知ること」から始めませんか

難民映画祭は12月7日までですが、きっと来年も続いていくと思います。
どうかこの機会に、難民について知ろうとする一歩を踏み出していただけたら嬉しいです。これは遠い国の出来事ではなく、同じ地球を生きる仲間の置かれている現実だからです。

ひとりでも多くの人が関心を寄せ、共に考える輪が広がっていけば、未来は必ず変わっていきます。
私自身、このテーマはこれからも向き合い続けたいと感じました。
みなさんとも一緒に考え続けていきたいと思います。

▼ 難民映画祭(Refugee Film Festival)
https://www.japanforunhcr.org/how-to-help/rff

▼ 国連UNCHR
https://www.japanforunhcr.org/

難民映画祭の象徴でもある青い薔薇の花言葉は「奇跡」や「夢がかなう」、「神の祝福」

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