世界1,000万人が体験した「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」——純度100%の暗闇は、なぜ人と人の関係を変えるのか

【HOPEFULなひと】
「HOPIUSの想い」をもとに、人類に希望を見出し、持続可能で愛ある世界を目指して活動している人たちを取り上げる企画です。社会に変革をもたらす挑戦をしている実践者へのインタビューを通して、未来への新たな視点を届けます。
今回は、1999年に日本で「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」をはじめた志村真介(しむら しんすけ)さんにお話を伺いました。
「3、2、1── 」
参加者みんなでカウントダウンをすると、前にいたアテンドの女性が手元のスイッチを押します。するとそれまで室内を薄暗く灯していた明かりが、ふっと消えて真っ暗闇が広がりました。
目を凝らしても、目をつぶっても、何も見えません。そこにあるのは、光がまったく入らない漆黒の闇。これは、光を完全に遮断した環境です。ここでは、目が見える人も見えない人も、見えにくい人も視覚を使うことが対等にできません。視覚を失った参加者たちは、事前に教えられたとおり、白杖(視覚障がいのある人が、安全に歩くための杖)や手の甲でそっと周りに触れながら進みます。頼りになるのは、匂いと、音と、アテンド(案内人)の声。一歩、また一歩と、慎重に暗闇の中を歩いていきます。

ここは東京・竹芝にあるダイアログ・ダイバーシティミュージアム「対話の森®️」。
この施設では「純度100%の暗闇」を、視覚障がいのあるアテンドの案内で体験できます。

「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」は、1988年にドイツで生まれ、これまで世界47カ国以上で1,000万人を超える人々が体験してきました。日本に上陸したのは1999年。以来、32万人以上がこの闇を体験しています。日本での立ち上げから四半世紀、ここに関わってきたのが、ダイアログ・イン・ザ・ダーク・ジャパン代表の志村真介さんです。

施設では、アテンドの案内に従って暗闇の中を注意深く進みます。手のひらに触れる、ごつごつした木の幹や枝。ふと鼻をかすめる枯れ草の匂い。靴底からは、柔らかい芝の感触や、石畳の硬さが伝わってきました。見えない分、ほかの感覚(嗅覚、聴覚、触覚、味覚)が研ぎ澄まされるのを感じます。
取材時に開催していた「祭り」がテーマのイベントでは、暗闇に祭りの音が響く中、紙パックの飲み物とお菓子が手渡されます。手探りで袋を開け、「これ、お茶だ!」「甘い!」「ベタベタする!」と、味や食感を楽しむ、いつものティータイムとはまた違った感覚を味わいました。普段なら「感じていること」さえ気づけないほど「当たり前」にある感覚です。しかし「対話の森®︎」の中に一歩足を踏み入れると、その感覚が特別なものになり、みんなで感じたことをシェアすることで新しい気づきがありました。
暗闇の中では、すべての人が「対等」になれる
暗闇には、視覚障がいがあるアテンドと一緒に8人ほどがグループで入ります。そこでは目が見える人も見えない人も関係なく、視覚がまったく使えません。当然ながら、何も見えない参加者は1人で前には進めません。アテンドがいて、参加者どうしが声をかけ合い、助け合いながら、はじめて前に進めます。

グループのメンバーは、ほとんどが初対面。それでも「あなたはどこですか。」「〇〇(自分の名前)はここです。」と呼び合い、手と手で触れ合いながら進むうちに、ほんの少し前まで他人だった人との距離が、自然と縮まっていくのを感じました。そこで生まれるのは「平等」とは少し違う、「対等」な関係です。対等とは、能力が同じという意味ではありません。お互いに必要とし合える存在であり、関係性のことです。
「普段私たちは、親と子、上司と部下といった立場や役割を通してコミュニケーションをしています。でも暗闇の中では、そうした肩書きがリセットされて『対等』になれるんです」
志村さんは話します。
入るときと出てくるときとでは、メンバーの顔ぶれは変わりません。年齢も、性別も、そのままです。それでも、暗闇に入る前と出たあとではグループの間に一体感が生まれ、助け合って何かを乗り越えたようなつながりができていました。入る前と出た後で変わったのは、人と人との「間」にある関係性。志村さんは、それこそがダイアログの核心なのだと話します。
「それまであった関係性をつなぎ直すことが、ダイアログ(対話)が大切にしていることなんです。」

アテンドは、人と人の「架け橋になる」存在
暗闇の中では、アテンドの質問に、参加者が感じたことを声に出してシェアする場面がいくつもありました。
「草の匂いがする」
「床の感じが変わった」
「壁がある」
「段差がある」
参加者が暗闇での気づきをシェアするとき、どんなに長くても、まとまっていなくても、アテンドが途中でさえぎることはありません。丁寧に、最後まで静かに聞いてもらえる。それだけで心地よく「受け入れられている」という安心感がありました。

その話を志村さんに伝えると、このように教えてくれました。
「視覚を使っていない人は、日常的に、人の話を最後までさえぎらずに聞く習慣を身につけています。」
それは、日本語の特質上、文章を最後まで聞かなければ、情報が真逆になってしまうことがあるからです。たとえば「今日、工事を——」という言葉をかけるとします。ここで文章を最後まで聞かなければ、「工事をしています。」なのか「工事をしていません。」なのか、わかりません。目からの情報で補えないからこそ、アテンドたちは相手の言葉を丁寧に聞く力を磨いてきました。
また志村さんによると、グループの先頭を歩くアテンドは、暗闇で参加者のほうを見て話をしているそうです。
アテンドが参加者のほうではなく前を向いて話していたら、声が遠ざかってしまい、位置関係が把握できなくなってしまうからだとか。何も見えない参加者にとって、アテンドの声はたったひとつの道しるべです。ときにはアテンドが、参加者に声が正面から届くように、後ろ向きに歩いてくれることもありました。慣れない暗闇で、参加者たちが不安にならないように、声で包み込んでいたのです。

世間では、障がいのある人は「配慮される側」だと思われがちです。しかし暗闇の中では、逆のことが起きていました。目の見えないアテンドが、見えずに戸惑う参加者たちを、細やかに気遣ってくれていたのです。この体験を通して、「当たり前」が覆されるような感覚がありました。
これがダイアログ・イン・ザ・ダークが目指す「対等」です。「助ける人と助けられる人ではなく、助けたり助けられたりするお互いさまの関係です」と志村さんは静かに笑います。
「だからこそ」を、社会に
暗闇の中で起きる変化は、企業の研修の場でも力を発揮しています。これまでに1,000社を超える企業が「暗闇のワークショップ」を導入したそうです。暗闇の中では指示ではなく、対話でしか前に進めません。会社内での役割や上下関係がリセットされ、フラットになるといいます。普段は「知っているつもり」だった同僚の、意外な一面が見えることもあるそうです。

医師らとの共同研究では、体験の前後で参加者のEQ(心の知能指数)が高まり、生産性の向上やストレスの改善に結びついていることがわかっています。さらに安心して意見を言い合える雰囲気が生まれ、立場の違う人同士が協力して新しい発想を生み出しやすくなることも明らかになっています。
障がいのある人を雇うことを、法律で決められた義務のようにとらえる企業は少なくありません。しかし志村さんは、自分たちとは違う感覚がある人がチームにいることこそが、新しい発想の源になると考えています。私たちはつい、「障がいがあるから」「子どもだから」「もう歳だから」と、「だから」を理由に、できないことに目を向けてしまいます。その話をする志村さんは、そこにたった2文字を足すだけで、見える景色がひっくり返るのだと笑いました。
「『だから』に『こそ』をつけるんです。子どもだからこそ、大人だからこそ、あの人だからこそ、できることがある。誰にでも、その人だからこそできることがあります。違いは、弱さではなく、社会に必要な役割なんです」

できないことにフォーカスするのではなく、その人がすでにできていることに目を向け、伸ばし、世の中とつないでいく。ダイアログの27年間は、その繰り返しだったと、志村さんは振り返りました。
仕事は1人でやるものじゃない、みんなでやるものなんだな
純度100%の暗闇を体験できる施設を維持するのは「至難の業」だと、志村さんは語ります。暗闇をつくれる物件を探すだけでも、理解のある不動産会社がなかなか見つからず苦労したそうです。それでも続けてこられたのはなぜでしょうか。志村さんに尋ねたところ、意外な答えが返ってきました。
「こんな決して効率のよい事業ではないことををずっとやるのは、やっぱり楽しいからなんですよ。やってみると、毎日新しいことが起こる。楽しいんです、何もかも。」
もっとも、その楽しさは1人で抱えるものではありません。かつて志村さんが病で倒れたとき、スタッフやアテンドたちが結束力を高め、守ってくれたといいます。

「仕事は1人でやるものじゃなくて、みんなでやるものなんだな、と。私が倒れても、この場所は止まりませんでした。スタッフやアテンドたちが支え合い、守り続けてくれたんです。
そのとき初めて、『仕事は一人でやるものではなく、みんなで育てるものなんだ』と実感しましたね」
また「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」は世界中で開催されていますが、各国のプログラムは基本的に、ドイツ本部がつくった内容をそのまま実施することが決められています。ところが世界中で日本だけは、独自のアレンジを発案者から許されているそうです。その背景には、総合プロデューサーであり、志村さんの妻でもある季世恵さんの存在があります。季世恵さんは長年ターミナルケアなど、命に寄り添う仕事を続けてきました。人の生死や心の機微を知るその専門性があるからこそ、発案者のハイネッケさんは、季世恵さんにプログラムの開発を世界で唯一、認めたといいます。

そんな「命」に寄り添ってきたダイアログだからこそ、さまざまな事情を抱えた人を迎え入れてきました。かつて、医師から余命10日と告げられた男性が、友人に抱えられるようにして暗闇へやって来たことがあったそうです。スタッフが本人の意思を丁寧に確かめたうえで迎え入れると、男性は暗闇の中で少しずつ声が生き生きとしはじめ、出てきたときには表情が穏やかになっていたといいます。
「病院では、名前にいつも『がんの』がついてまわった。でも何も見えない暗闇では、誰も知らない、ただの自分でいられて、自由だった。」── 病名というレッテルから解放された瞬間でした。
その男性が亡くなる前に体験を綴ったブログには、何十万というアクセスが集まったといいます。今でも、そのブログを読んだ人が暗闇を訪れることがあるそうです。
暗闇を全国へ広げたい
今、志村さんが力を注いでいるのは、全国の盲学校を1校ずつ訪ね、暗闇の体験を届けていく取り組みです。2026年度は10校で実現します。会場となる学校に暗闇をつくり、生徒だけでなく、教員や保護者、地域の小中学校の子どもたち、住民も一緒に体験ができるようにしました。

きっかけは、あるアテンドの一言でした。
目が見えないことを活かして、自分は今、この仕事で暮らしている。だったら、かつての自分と同じように悩んでいる盲学校の後輩たちに「こういう仕事があるんだよ。」と伝えに行きたい。
「暗闇をわざわざコストをかけてつくらなくても、明るいところで同じことができる社会になること。それが目標です。でも、それには自分の人生では短すぎる。だから、何世代かで継いでいきます。」
自分の人生より長い時間軸で、種を蒔く。
数えきれないほどの困難を越えて、なお「楽しいんです、何もかも。」と笑う志村さん。その笑顔こそが、この活動の原動力なのでしょう。
希望とは
志村さんにとって、希望とは何ですか。
「日常では、どんな人でも『もうダメだ』『これはできない』と思うことに出会いますよね。今日、暗闇に入って『無理だ』と思われたかもしれない。でも、どうにか協力したり知恵を絞ったりすると、無理だと思ったこともできるようになるんです。」
体験を終えた人は、街で白杖の人や車椅子の人と「よく出会う」ようになるといいます。

「体験の前と後で、街を歩いている人の数は変わっていないはずなんです。でも、暗闇を体験すると、何か街で困っている人の存在に気づけるようになります。だから『何かお手伝いしましょうか』と、声をかけられるようになるんですね。」
志村さんは続けます。
「できないと思ったことにぶつかって、それでもいろんな人と一緒に対話していたら、それが希望につながるんだと思います。
希望は、遠いどこかにある話じゃない。世界はつながっていて、その中にいろんな人がいる。地続きの中で、お互いを尊重し合って、その先にあるのが、希望なんじゃないかな。」
ダイアログ・イン・ザ・ダークが考案された翌年の1989年、ベルリンの壁が崩壊し、分断されていた東西ドイツが対話への一歩を踏み出しました。しかし、目に見える壁は壊せても、「私たち」と「あの人たち」を分ける見えない壁は残ります。それは自分では気づかないうちに抱いている思い込み(アンコンシャスバイアス)です。発案者のハイネッケさんが暗闇に込めたのは、その壁を対話で溶かしたいという願いでした。
「戦争の反対語は、単に平和ではなく、対等な対話を続ける努力をしていくことだ」
ハイネッケさんは、そんな言葉を残しています。暗闇は、平和のために生まれたのです。
1999年、志村さんによって日本で初めて始まったダイアログ・イン・ザ・ダーク。以来27年間、1度も途切れることなく、8人ずつを暗闇へ迎え入れ、送り出してきました。これまでの体験者は32万人を超えます。
しかし、志村さんが本当に育て続けてきたのは、その数字ではありません。暗闇を出たあとも続いていく、人と人との関係性です。家族との会話が少し変わる。職場で誰かに声をかけられるようになるといいます。街で白杖を持つ人に、自然と手を差し伸べられるようになるそうです。その小さな変化が、社会を少しずつ変えていきます。志村さんが27年間信じ続けてきたのは、「人は対話によって変わる」のではなく、「人と人との関係性は対話によって育て直すことができる」という希望でした。
今回体験した「祭」の企画は、現在開催中の「PEACE IN THE DARK 2026」のプログラムの1つです。暗闇の中で現れる縁日の屋台には、日本をはじめ、アメリカ、中国、韓国、イスラエル、ロシアなど、さまざまな国のお菓子が並びます。国も立場も見えない暗闇で、お菓子のルーツをたどりながら、盆踊りの輪に加わる──記事を読んで気になった方は、ぜひ暗闇の中で体験してみてください。
PEACE IN THE DARK 2026・Part.1「祭」:2026年7月4日(土)〜7月26日(日) ※2026年は開催終了
・Part.2「1945年の広島へ」:2026年8月1日(土)〜8月30日(日) ※チケット発売中
会場はダイアログ・ダイバーシティミュージアム「対話の森®︎」(東京・竹芝)。
期間中は、平和をテーマにした絵本展や写真展、誰でも無料で立ち寄れる「PEACE CAFE」も開催。
小学生以上で体験できます。小学生は必ず保護者の方とご一緒にご予約ください。
「PEACE IN THE DARK」は、昨年、戦後80年を記念して広島でも開催され、会場となった旧日本銀行広島支店には、鍵のない「信頼の募金箱」が設置されました。
その記録映像『人はどんなときも信頼できる存在である/信頼の募金箱』は、広告電通賞エリアアクティビティ部門で銀賞を受賞。ぜひご覧ください。
志村真介(しむら・しんすけ)
一般社団法人ダイアローグ・ジャパン・ソサエティ理事。1993年、新聞でドイツ発祥の「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」を知り、1995年にイタリア・ローマで初めて体験。その衝撃を原点に、「人間とは何か」という問いを30年以上探究し続けている。1999年、日本で初めてダイアログ・イン・ザ・ダークを開催して以来、27年間にわたり活動を継続。これまで32万人以上が体験し、1,000社を超える企業や全国の学校・地域へ対話の場を届けてきた。視覚障がい者、聴覚障がい者、高齢者、さまざまなマイノリティの人々の新たな職域創出と社会実装に取り組むとともに、「違いを理解する社会から、違いを価値に変える社会へ」を理念に、平和、教育、DE&I、地域共生など多様な分野で対話の可能性を広げている。著書に『暗闇から世界が変わる ダイアログ・イン・ザ・ダーク・ジャパンの挑戦』(講談社現代新書)。
「未来は、対話から始まる。」──その信念のもと、人と人との関係性を育み、誰もが自分らしく生きられる社会の実現を目指して、今日も対話の場をつくり続けている。
ダイアログ・イン・ザ・ダーク
1988年、ドイツの哲学博士アンドレアス・ハイネッケの発案によって生まれたダイアログ・イン・ザ・ダークは、これまで世界47カ国以上で開催され、1,000万人を超える人々が体験。日本では、1999年11月の初開催以降、これまで32万人以上が体験しています。暗闇での体験を通して、人と人とのかかわりや対話の大切さ、五感の豊かさを感じる「ソーシャルエンターテイメント」です。
ダイアログの活動は、佐賀県のふるさと納税を通じて応援することもできます。佐賀県のふるさと納税は、社会課題の解決に取り組むNPOを指定して寄附ができる仕組みで、ダイアログは第一号として佐賀県と進出協定を結びました。



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