81年目の広島が世界に問う──被爆の「体験」を「記憶」へ、どう未来へつなぐのか 

2026年8月6日午前8時15分。「黙とう」を呼び掛けるアナウンスと共に鐘が鳴り響くと、広島市平和記念公園での原爆死没者慰霊式・平和祈念式に参加した5万人の人々は一斉に頭を垂れ、気配を鎮めて、ただ祈りの中に身を置いた。静かだ。人類史上初めて、都市に投下された原子爆弾によって、広島で暮らす大人から、子どもまで、多くの人々の命が奪われた。あれから81年目の朝、公園内は多くの人々の鎮魂と平和への祈りで満ちた。

開式に先だって会場では「献水」が行われた。原爆の投下後、全身を炎と熱風で焼かれた被爆者がみな「水をください」と、最後の力を振り絞って叫びながら息絶えた。亡くなった人々へ「どうかこの水を飲んでください」と、毎年水が捧げられている。

「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」と刻まれた原爆死没者慰霊碑にはこの日も、国内外を問わず、新たに死亡が確認された被爆者ら3035人の名前が記された名簿が納められた。核兵器廃絶の日まで燃え続ける 「『平和の灯(※1)』はまだ消すことが出来ないままだ」式典前日、ここで公園内を案内した男性が数人の人に向けて話していた。

「慰霊碑に刻まれた言葉は、『多数の人々が亡くなった原爆投下という過ちは二度と繰り返しませんから』という思いと同時に、『世界中でそのような過ちは繰り返させませんから』という広島の願いが込められているのです」と解説していた。

原爆死没者慰霊碑


(※1)平和の灯(ともしび)

東京大学教授(当時)丹下健三氏が設計したもので、台座は、手首を合わせ、手のひらを大空にひろげた形を表現しており、水を求めてやまなかった犠牲者を慰め、核兵器廃絶と世界恒久平和への願いをこめている。この火は、昭和39年(1964年)8月1日に点火されて以来ずっと燃え続けており、「核兵器が地球上から姿を消す日まで燃やし続けよう」という反核悲願の象徴となっている。

平和宣言

松井一實広島市長は「平和宣言」をスピーチ

式では松井一實広島市長が平和宣言を述べた。被爆者の声と思いを紹介し、市民社会が核兵器廃絶と平和を願う行動の輪を広げているにも関わらず、それが進んでいない現実を指摘。

世界の為政者の皆さん、市民社会は一日も早い核兵器廃絶を願っています。いったい、いつまで失望させ続けるのですか。市民社会は為政者の皆さんが被爆地から核兵器廃絶への決意を世界に発信し、そのための政策を実行することを心から待ち望んでいます

と呼び掛けた。さらにいまだに核兵器禁止条約の締約国となっていない日本政府に対しては「まずは核兵器禁止条約の再検討会議にオブザーバー参加し、一刻も早く締約国となっていただきたい」と求めた。そして在外被爆者を含めた被爆者の支援・援護を求めた。

スピーチ後に平和を象徴する鳩が放鳥された。日差しが照り付ける中を一斉に青空に飛び立つ鳩たち。数羽が白いテント屋根の中に入ってきて、高市早苗総理大臣や外国の要人ら、為政者たちの頭の上を飛ぶと、暑い日差しが照り付ける青空へと向かって飛んでいった。

世界情勢──核が使われ原発が狙われる『戦争』

総理大臣として式典に臨んだ高市早苗氏

今年初めて、総理大臣として式典に臨んだ高市早苗氏は、NPT(核不拡散)体制の維持・強化や非核三原則にコミットすると述べながらも、安全保障環境を踏まえた核軍縮への取り組みを進める考えを示したにとどまった。また被爆者への確実な援護・支援と「原爆症の認定」の早期決定について述べたが、被爆者が求める被爆二世、三世への援護策など、より具体的で踏み込んだ内容については言及がなかった。

今、世界では戦争や紛争が起きている。ロシアとウクライナ、アメリカとイラン、そしてイスラエルとパレスチナ。核の威嚇や脅威といった核の危機が起き、安全保障環境は厳しさを増している。

そこには核保有国を中心に、「核兵器を持つことが、お互いのけん制力となって、『核抑止』につながる」という「核抑止論」という理論があるからだ。しかし、「多くの為政者は現実的な対応として核抑止力に依存し続け、暴力を肯定する国際社会が出現し、核兵器のない社会は遠のくばかり」(松井市長・広島平和宣言)だ。広島の人々、特に被爆者は、この「核抑止論」を批判してきた。

国連 軍縮担当上級代表・中満泉氏がスピーチ

広島平和記念公園に立つ「原爆の子の像」。2歳で被爆し、白血病で12歳の生涯を閉じた佐々木禎子さんをはじめ、原爆で亡くなった子どもたちを慰霊するために建てられた。周囲には国内外から寄せられた千羽鶴が捧げられている。

「81年前、この地が炎に包まれた経験から、私たちは何かを学んだのか」。

式で国連の軍縮担当上級代表・中満泉氏は、アントニオ・グテーレス事務総長の挨拶を代読し、そう呼び掛けた。
「世界では地政学的な分断と不信が深まり、核兵器による威嚇も続く。世界の軍事費は2025年に2兆9000億ドルに達し、数十年続いた核兵器削減の流れも逆行しつつある」と指摘。

その上で、平和は恐怖や力ではなく、対話と外交、国際協力、国際法へのコミットメントによって築かれると強調。

「広島の教訓は核兵器の脅威、そして使用が考えられない世界を築く必要性を教えてくれた。不屈の精神、復活、そして希望の象徴として、私たちに力強いメッセージを伝えてくれる。分断ではなく対話を、対立ではなく協力を」と訴えた。

体験をどう残し、伝えるか

こども代表の河野和希さん(広島市立高南小6年)と柿崎由宇(ゆう)さん(広島市立高須小6年)

今回の式典には被爆者の姿もあった。しかし、つえや車いすの人が多く、参加できない人も。被爆者たちの経験や過去の歴史を多くの人にどう伝え、それを次世代へとどう継承していくかが喫緊の課題になっている。

式典ではこども代表の柿崎由宇(ゆう)さん(広島市立高須小6年)と、河野和希さん(同・広島市立高南小6年)が「平和への誓い」を述べた。

私たちには被爆体験を直接聴くことができる最後の世代として、当時の記憶を事実として受け止める使命があります。広島の子どもとして、行動する責任があります」とし、「平和とは誰かから与えられるものではなく、世界中の人々で作り上げるものですと参加者に呼び掛けた。

被爆者の声を聞き、歴史を学び行動する──。

原爆ドームを前に、その歴史を学ぶ若者たち。暑い中熱心に話を聞いていた。

広島平和記念資料館は、紛争が続く世界情勢に、円安や訪日外国人旅行者の増加なども背景に、3年連続で来館者数過去最高を記録している

世界各地から訪れた人々が、館内の大型モニターに映された被爆者の体験証言を視聴したり、原爆で焼けて亡くなった学生が着ていた制服や持っていた弁当箱、溶けたガラス瓶などの遺品・遺物を静かに見つめ、理解を深めている。二人の「平和への誓い」は世界中の人々に投げかけられている。

希望とはすべての人々に関わること──ロンドンから来た男性

慰霊碑の前で黙祷を捧げていたイギリス・ロンドンから来たフランク・リチャードソンさんに話を聞いた

広島は世界平和にとって重要な場所。犠牲になった方々に敬意を表し、世界をより良い場所にするために私たちに何ができるのかを考えた」と話すのは、イギリス・ロンドンから来たフランク・リチャードソンさん。

慰霊碑の前で黙とうをささげた。「戦争がどれほどひどく、極端な事態をもたらすのかが分かった。やはり一番大切なのは平和。誰もが力を合わせ、ともに生き、平和な環境の中で一緒に暮らしていくことが、どれほど重要なのかを実感する機会になった」。

平和や希望、未来について聞くと、「日本が平和を推進するために果たしている役割は重要で、非常に素晴らしい。世界各地の平和に向けた取り組みを支えている主要な国の一つだと思う」

そして希望について「希望というのは、すべての人に関わるものであり、世界の指導者たちにも関わるもの。世界の指導者たちには、ここで起きたような状況を二度と起こさないように考えてほしい。戦争のための慰霊碑をつくらなければならないような状況を、私たちは望んでいない。戦争のない世界にしていかなければならないと思う」と語った。

子どもたちの姿に希望を見た──カナダの研究者

カナダの大学教員でライターのジュリア・シューキーさんは日本の戦争や広島・長崎の原爆について考えるために日本を訪問した

広島での記憶がどう伝えられていて、これからも伝えられるのか、戦争と困難の時代にどう平和を作ろうとしているのかに非常に関心がある」と語るのはカナダの大学教員でライターのジュリア・シューキーさん。

リトアニアのユダヤ人のホロコーストや第二次世界大戦の著作もある研究者だ。日本の戦争や広島・長崎の原爆についても考えたいと今回、広島を訪れ、「記憶や、喪失の経験には人間共通の何かがある」という視点から、広島に来て「人間よりも長い歴史と生命である自然の植物、ハスや被爆樹木は何を意味するのか」を公園の中で静かに考えた、と話した。

悲しく辛い歴史の広島で、希望について聞いてみた。

希望……、若い人が希望なのだと思います。公園では子どもの像や鐘を鳴らす子どもたちの姿を見た。庭園や芸術の美しさと同時に、新しい命の中に希望を感じることができた。もしかしたら彼ら次の世代は、私たちよりうまくやってくれるかもしれない、と思えた。そのことが希望です」。

一人ひとりが考えることが平和につながる──広島県福山市の男性

慰霊碑の前に並ぶ人々

公園のベンチに腰掛け、「広島市に住んでいた子どもの頃は毎年式典に出席し、数年前までボランティアで式典の運営にも参加していた。被爆された方が高齢になり多くの方が亡くなられたのが本当に残念」と語ったのは広島県福山市の男性(66)。

被爆した祖母は81歳で亡くなり、その名は原爆死没者名簿に納められた。「良い祖母だった。こうして式典に来るのも、祖母への思いが第一」という。

『核廃絶は実現したいが難しい』と考える人もいると思う。だからまずは核軍縮を着実に進めることでは。そして広島で起きたことがどんなことだったのかを一人ひとりが考え、思ってくれて、忘れないことで、平和が実現できるのだと思う」。

この男性は東日本大震災で福島県南相馬市原町区でボランティア活動をしたという。「原爆で亡くなった人も、原発事故で被曝した人も、同じように悲しい思いをされたんだな……と思った」としみじみと話した。原爆と原発事故という核を巡る被害に共通する悲しい思いを少しでも減らそうと、自分にできる活動を続けている。

私たち一人ひとりが自らにそして世界へ問いたい

8月5日の広島平和記念公園で、それぞれの方法で平和への思いを伝える人々。望む未来を問い、身近な行動に移すことから、平和への歩みは始まる。

8月6日の広島、そして9日の長崎。この日をあなたはどう過ごしただろうか。

原爆で多くの尊い命が失われ、今も後遺症に苦しむ被爆1世、2世、3世という人々がいる。その人々とともに生きる親戚や友人たちがいる。

私たち人類はこの広島、長崎を経験した後でさえも、大量殺りく兵器である原爆を、再び地上に降らせるのだろうか。それは本当に欲しい未来なのだろうか。

歴史を教訓として、私たち一人ひとりが自らに、そして社会に世界に、「どんな未来が欲しいのか」を問い続けなければならない。それが私たちが自らの手で望ましい未来を築いていく第一歩であると感じた。

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