“いま”を超え、認知をひらく──哲学者・柳澤田実さんが語る、宗教と人類のHOPEFULな関係ー

日本における宗教との向き合い方

ーー 日本において、宗教は今後どのように受け入れられていく可能性があるでしょうか?


「日本では“宗教”という言葉に対して、どこかネガティブな印象があるのは事実だと思います。過去の事件や信仰心の悪用などが、その背景にはあるでしょう。

けれども歴史を振り返ると、日本には神道や仏教といった宗教が深く根付き、今なお冠婚葬祭や年中行事の中に生き続けています。こうした事実に目を向けると、“宗教”というものが日本社会の精神性に根付いていることは否定できないと思います。宗教が“薄く広く”生活に浸透している状態は、極端にならないと言う意味で、実はとてもポジティブなことだと思います。

初詣やお盆、厄払いといった行事は、 “家族”や“先人”とのつながりを感じさせてくれますよね。これは“帰属意識”の再確認にもなります。不安定な現代において、私たちが“つながりの連続性”を感じられることは、心の支えになり得ます。

また、日本のサブカルチャーにも、実は宗教的なモチーフが溢れています。アニメや漫画といった表現のなかで、私たちは“宗教的なるもの”への欲求を表現しているのかもしれません。

日本には、“カジュアルに生きながらも、伝統的な価値観を大切にしたい”と感じている人が多い。だからこそ、地に足のついた宗教や精神性を語ることが、リアリティのある議論につながっていくと思います。たとえば、地域の祭りなども良い例です。そこは“横”には世代を超えた人とのつながりがあり、“縦”には先祖とのつながりが感じられる場所でもあります。

宗教と言っても、何かを強く信じるということではなく、生活などの営みのなかで儀礼や習慣として根付いていくものが日本人には合っているように思います。

未来を照らす宗教の“使い方”

ーー 宗教が“希望”として機能するためには、何が必要だと思われますか?

「最初にことわっておきたいのは、別に宗教が必要だとか、皆、宗教を信じるべきだと言う話をしたいわけではないのです。宗教と暴力がしばしば結びつくことは否定できないですし、宗教イコール良いものだとは私も思っていません。

ただ宗教が担ってきた役割は思いのほか重要で、宗教がなくなると、人々はいろいろな形で宗教の代替物を作り出したり、宗教に回帰したりしようとするこのことを認めた上で、どうすればよいかを考えたいということです。

それでは宗教の役割とは一体何だったのかと言うと、もともと宗教は、人間の共同体が大きくなる過程で重要な“紐帯(ちゅうたい:おびやひものように、両者を結びつけるたいせつなもの)”の役割を果たしてきました。ロビン・ダンバー(※3)によると、宗教と集団のサイズは密接に結びついており、共同体の結束を支える媒体として宗教が機能してきたといいます(著書『宗教の起源──私たちにはなぜ〈神〉が必要だったのか』より)。

(※3)ロビン・ダンバー:イギリスの進化心理学者・人類学者。オックスフォード大学名誉教授。人間関係の限界数「ダンバー数(約150人)」の提唱者として知られる。宗教や儀式、社会的つながりが脳や生理的反応に与える影響を研究し、「宗教は共同体の結束を強める進化的な役割を果たしてきた」と論じている。

たとえば、火を囲んで歌ったり踊ったり、感情を揺さぶるような説教を聞いたり、皆で食事をする──そうした儀式的な体験は、快楽や幸福感をもたらす神経伝達物質“エンドルフィン”の分泌を促進し、他者への帰属意識や信頼感を高めるとされています。つまり、宗教とは本来的に、感情を媒介として人と人とを深く結びつける力を持つのです。

感情によって“人を結びつける機能”を持つという点が、とても大切だと思います。こうした結びつきを、音楽のライヴやスポーツ観戦で得ている人も多いでしょう。極端なことをする必要はなく、初詣やお盆のように、“儀礼”として薄く広く暮らしに根ざした宗教的行為は、最も安全かつ自然な入り口になりうると考えています。先にも言いましたが、伝統的な儀礼では、実際の時間を共にする横のつながりだけでなく過去の人々や未来の人たちとの縦のつながりを感じることができ、より強い帰属感を与えてくれるとは思います。

人と人の感情的なつながりだけでなく、宗教が持つもう一つの重要な機能に、“視点の拡張”があります。私たちは日常の中で、目の前のことで手一杯になりがちです。けれども宗教は、“いま・ここ”を離れて、物事を眺める視点を提供してくれます。

それを「神」と呼ぶかどうかは重要ではなく、自分を超えた何かに思いを馳せる時間や機会を持つことに意味があります。その瞬間、人間の認知は拡張され、未来や過去、ここではないどこか、自分ではない他者へと視点が広がっていくのです。

歴史的に見ても、ユダヤ教、イスラム教、キリスト教など唯一の全知全能の神だけを信仰する一神教の登場は文明の発展を促しましたし、キリスト教の一派であるプロテスタントの思想、勤労や禁欲を特徴とするプロテスタンティズムは“近代化”を可能にする精神性を育んだとされています。

人間は、“いま・ここ”を離れて物事を考えることを繰り返すなかで、認知を進化させ、文明を発展させてきたのだと思います。

伝統的な宗教は、何百年、あるいは何千年もかけて、人間が“繰り返し考え抜いた思想の蓄積”です。信じるかどうかは置いておいて、むしろ一通り学んでみることで、私たちは“いま・ここ”を離れた様々な思考法を知ることができると思います。」

校舎は、赤い瓦屋根とクリーム色の外壁を特徴とする独特の建築様式「スパニッシュ・ミッション・スタイル」で統一されている。

いま、“人類の叡智”にふれるということ

人間は古来より、「自分とは何か?」「いかに生きるべきか?」という問いを繰り返し問い続けてきました。宗教や哲学とは、そうした問いへの数千年にわたる試行錯誤と、思索の蓄積だと言えます。

一方で、現代の私たちは“個人”という存在を尊重する社会のなかで暮らしています。特にこの百年ほどの間に、自由や自己実現を重んじる価値観が広まり、日本でも職業や生き方を自ら選べる環境が整えられてきました。

しかしその裏で、分断や孤独という新たな課題にも直面しています。他者への想像力が希薄になり、共通の価値観を持ちづらいこの時代にこそ、改めて「つながり」や「より大きな視点」の必要性が問われているように感じます。

柳澤田実さんのお話を伺いながら、この困難な時代にこそ、宗教や精神文化という“人類の叡智”にふれることが、視界をひらき、未来への歩みを照らすヒントになるのではないかと思いました。
それは、個を超え、分断を超えて、「私たちは人類というひとつの共同体なのだ」という感覚を取り戻す一歩でもあるのかもしれません。

柳澤田実(やなぎさわ・たみ)さん
関西学院大学神学部准教授。慶應義塾大学卒業後、東京大学大学院で哲学・キリスト教思想を学び、博士(学術)号を取得。東京大学COE研究員、南山大学准教授などを経て現職。著書に『ディスポジション』ほか。近年はThe New School(米国)に留学し、道徳基盤理論に基づく日米比較調査を実施。文化的背景や宗教観とマインドセット(心の構え)の関係に注目し、「何かを神聖視する心理」が社会や倫理にどう作用するかを探究している。https://x.com/tami_yanagisawa

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