「怖いまち」を「希望のまち」へ変えていくーー北九州から始まる壮大な希望のプロジェクト(上)

【HOPEFULなひと】
「HOPIUSの想い」をもとに、人類に希望を見出し、持続可能で愛ある世界を目指して活動している人たちを、取り上げる企画です。 今回、(上)、(下)の2回にわたり、北九州市を拠点に生活困窮者や社会からの孤立状態にある人々の生活再建を支援する「認定NPO法人 抱樸(ほうぼく)」の活動の紹介と、理事長奥田知志(ともし)さんが目指すHOPEFULな世界を紹介します。
(上)では、奥田さんと抱樸の皆さん、支援者の方々が取り組む「希望のまちプロジェクト」です。

人口90万人を超える福岡県第2の都市・北九州市(政令指定都市)。この街で、路上生活者や貧困層、単身高齢者など、さまざまな生活困窮者とつながり、「ともに生きる社会」を目指して活動しているNPO法人があります。1988年の設立以来、37年間も困難を抱える人々を支援し続けてきた「認定NPO法人抱樸(ほうぼく)」。
その理事長を務めるのは、日本バプテスト連盟・東八幡キリスト教会の牧師でもある奥田知志(ともし)さんです。​ 

あんたも わしも おんなじいのち

​​この言葉を大切にして、奥田さんをはじめとするスタッフやボランティアの皆さんは、日々、「ひとりにしない支援」に取り組んでいます。これまでに活動に関わったボランティアは約3,000人。3,700人以上がホームレス状態から自立、現在も1,200人を超える人々が支援を受けています。その数字が示すように、抱樸は本当に多くの人々と共に歩んできた団体です。​ 
NPO法人の名称「抱樸(ほうぼく)」とは、老子の言葉に由来し、「抱=抱く」、「樸=荒木や原木」、つまり荒々しい原木も荒木もそのままのものを抱くという意味で、ありのままの自分やその人を「受け止め、受け入れる」。活動の使命(ミッション)が名称にも反映されています。​ 

​​そんな抱樸が、今、新たな挑戦に踏み出しています。​ 

​​その舞台は、北九州市の特定危険指定暴力団の本部跡地だった場所。そこに、市民交流・まちづくり・生活支援を融合させた複合施設を建設し、多様な人々が集い、支え合える「居場所」をつくろうというのです。
プロジェクト名は、HOPIUSとも深く響き合う——「希望のまちプロジェクト」(以下、「希望のまち」)
すでに用地は取得済みで、建設工事は2025年1月に着工。2026年夏頃にはプレオープンを迎える見通しです。取材に訪れた5月初旬には、すでに基礎工事が始まっていました。​ 

​​「希望のまち」とは、いったいどのようなプロジェクトなのでしょうか?​ 
​​そして、この取り組みを通して奥田さんや抱樸が描こうとしている「希望の未来」とは?​ 
奥田さんにじっくりとお話を聞きました。​ 

人々が出会う「軒の教会」と呼ばれる東八幡キリスト教会の礼拝堂。明るくまぶしい光と、その光を際立たせる影の中に立つ奥田さん
人々が出会う「軒の教会」と呼ばれる東八幡キリスト教会の礼拝堂
明るくまぶしい光と、その光を際立たせる影の中に立つ奥田さん

​​多機能で「ごちゃまぜ」、一人ひとりが自分の物語を生きるまち​ 

​​「希望のまち」は、前例のないプロジェクトです。構想には奥田さんをはじめ、抱樸のスタッフやボランティア、かつてホームレス状態だった人たちも参加して意見を出し合いながら、丁寧に練り上げてきました。​ 

ゆるやかにつながりながら、どこからでも入れて、
どこからでも出られる開放的なイメージを意識しました
(デザイナー・北山雅和さん)

この「希望のまち」が目指すのは、次の5つの姿です。​​ 

  • 「怖いまち」から「希望のまち」へ── 暴力団本部の跡地を、笑顔あふれる場所へと再生する。​ 
  • ​​「助けて」と言えるまち── 自己責任論ではなく、支え合い、頼り合える関係を築く。​ 
  • ​​まちを大きな家族に── 家族機能を社会で担い合い、孤立を防ぐ。​ 
  • ​​まちが子どもを育てる── 子どもとその家族を地域全体で支え、豊かな体験と関係性を次世代に継ぐ。​ 
  • ​​北九州から全国へ── 地域共生社会のモデルとして、全国に発信していく。​ 

​​その実現に向けて、「希望のまち」には多様な機能が盛り込まれます。​
支援機能としては、​ 

  • 子ども家族marugoto(まるごと)支援センター
  • 放課後等デイサービスセンター
  • 救護施設
  • シェルター(居室)​ 

​​また、市民交流のための施設もあり、​ 

  • ボランティアセンター
  • 地域づくりコーディネート室
  • 地域互助会事務局​ 

​​さらに、災害時には避難所として地域住民が安全に過ごせる機能も備えています。​ 

かつて地域の人々が「怖いまち」の象徴として近づくことを避けていた場所は、今、約1年後の完成に向けて変貌を遂げようとしています。そこは、年齢や背景の異なる人々が行き交い、語り合い、つながり合う空間へと生まれ変わります。​ 

​​——多様な人々が「ごちゃまぜ」に過ごしているからこそ、一人ひとりが自分の物語を生きられるまち。​ 

それが、「希望のまち」が目指す未来です。

「怖いまち」を「希望のまち」へ変えていく

​市民の手で「希望のまち」へ変えていく​

このプロジェクトのスタートに至る背景には、北九州市の地域的な事情と、NPO法人抱樸(ほうぼく)のこれまでの活動があります。北九州市は、1963年に門司・小倉・若松・八幡・戸畑の5市が対等合併して誕生した大きな都市です。JR小倉駅からバスで約40分の八幡地区は、明治時代から官営八幡製鉄所が置かれ、重工業の要所として発展してきました。

現在、この八幡地区の住宅街に、抱樸の拠点や、奥田知志さんが牧師を務める東八幡キリスト教会、そして元ホームレスや刑務所を出所した方などでひとり暮らしが困難な方を受け入れる生活支援施設「抱樸館北九州」などがあります。​ 

建設からデザインした初めての施設「抱樸館北九州」

​​今、「小倉城」や「漫画ミュージアム」をはじめとする博物館・記念館など観光名所の多い北九州市ですが、地元経済や人々の暮らしは1970年代以降、エネルギー革命や高度経済成長の終焉により産業構造の転換の大きな影響を受けました。
筑豊炭田の閉山も重なり、都市部には多くの労働者が流入した一方で、失業や貧困が深刻化しました。

1960〜80年代には、国や市が「不正受給の一掃と適正化」と称して、生活保護受給の抑制策を進めたとも言われ、「水際作戦」「硫黄島作戦」などと批判を浴びる事態に。生活保護を受けたいと区役所に行っていた男性が餓死する「門司餓死事件」も発生し、行政の生活保護対応や支援の在り方が大きく問われました。​ 

​​そして1990年代、市民は大きな不安を抱えていました。それは「治安の悪化」です。
北九州市小倉北区には、暴力団「工藤會」本部があり、地域では暴力団同士の抗争事件にとどまらず、市民が殺害されるという大事件も起きました。これに対し、北九州市・福岡県警・企業・市民・市民活動団体が連携し、「安全な地域を取り戻す」取り組みが進められてきました。

市は2002年に「北九州市安心・安全条例」を制定し、県警は暴力団壊滅に向けた「頂上作戦」を展開。2012年、「工藤會」は日本で初めて「特定危険指定暴力団」に指定されました。県警の撲滅作戦は功を奏し、工藤會による刑法犯の認知件数は、2002年の40,389件から2023年には6,044件まで減少。実に約85%の減少率となりました。​ 

​もう一つ、こうした暴力や治安の悪さは子どもにも影響している可能性が懸念されました。1990年には中学生がホームレスの人を路上で襲撃するという痛ましい事件も発生したのです。当時、北九州市ではホームレスの人を支援するような公的な動きはなく、ボランティアによる炊き出しと数室のシェルターが支援をしているのみの状況でした。

炊き出しの様子(提供:NPO法人抱樸)

2002年、奥田さんも尽力してホームレス自立支援法が制定され、それによって北九州市でも支援策がすすめられ、2004年ごろからはホームレスの人の数が減少傾向になっています。ただし経済的な困窮が続く中で、「生きることに困難を抱える人々」が路上に押し出される流れは止まっていません。2008年のリーマンショックでは、特に40代以下の若年層の路上生活者が急増。困難を抱える人とつながり、支える活動は、今なお重要性を増しています。​ 

​​こうしたなか、2018年に「希望のまち」事業につながる出来事が起こります。
「工藤會」は本部事務所の固定資産税を滞納。債権者である市が建物と土地を差し押さえたのです。その後、福岡県暴力追放運動推進センターを経て民間企業が土地を取得。さらにその土地を、NPO法人抱樸が「希望のまち」事業を実現させるため、購入しました。​ 

​​しかし建設・運営にかかる資金はまだまだ不足していました。そこで、抱樸ではクラウドファンディングを含む寄付キャンペーンを実施。2024年12月までに約4億8,000万円を調達しました。その後も引き続き寄付は集まり、また金融機関からの融資も内諾を受けています。とはいえ、まだ十分とは言えず、現在も寄付を継続して募っています。​ 

認定NPO法人 抱樸 寄付ページはこちら

​​NPO法人抱樸の取り組みについて、地元・北九州市も応援を表明。ふるさと納税の仕組みを活用し、ガバメントクラウドファンディングを実施。目標額3,000万円を大きく上回る約5,300万円が集まり、「希望のまち」の建築支援に活用されています。​ 

北九州市の担当者もこう語ります。
多くの方々の共感を得て進んできたプロジェクトであり、地域福祉の向上等に大きく貢献していただけると感じています。少子高齢社会が進むなか、地域コミュニティの再構築は本市にとっても重要な課題です。『希望のまち』が、全国に先駆けてその新しいモデルになってほしいと期待しています」。

北九州市役所​
「希望のまち」応援でガバメントクラウドファンディングを実施した北九州市役所​ 

​​北九州市を、あらゆる人が生き生きと暮らせる「希望のまち」へーー
プロジェクトは市民や支援者、自治体、町内会だけではなく、地元企業や金融機関も賛同した「まちづくりの市民運動」へと広がっています。​ 

イメージスケッチ
「希望のまち」のイメージスケッチ(提供:手塚建築研究所)​ 

                           
 

次ページ>>
「ホームレス」とは、“家”だけでなく、“関係”も失われた状態

1 2
大切な人に希望をシェア