”多眞除(たまよけ)地蔵尊”「隠された」存在から、平和を考える拠点へ

昨年公開した「戦後80年 『戦地で弾をよけて、生きて帰って』──家族の切なる願いが込められた”多眞除(たまよけ)地蔵尊”」。
今年も8月16日、現地で平和祈願・戦没者慰霊祭が地元の有志により開かれ、参列者が、多くの人々の命を奪った悲惨な戦争を二度と起こさない平和の誓いを胸に、静かに祈りをささげた。
▼戦後80年を迎えた昨年に【HOPUEFULなひと】で公開した公開した多眞除地蔵尊の記事

存在が秘された地蔵尊で戦後81年の慰霊祭
この地蔵尊は福島県二本松市の里山の中腹にひっそりと建てられたお堂の中にまつられている。だれが名付けたのか、「多眞除地蔵尊」と呼ばれている。地域の人によっては「多眞除(たまよけ=弾除け)さま」、あるいは「多眞除神社(たまよけじんじゃ)」と呼ぶ人もいる。
この日は、地元の東和地区遺族会の元会長・鴫原俊郎さんと、土地と地蔵尊の所有者である福島市の菅原成彌(すがわら・なるや)さん、同市太田の太田の里地域づくり協議会会長の斎藤康雄さんが出席。治陸寺住職の和田隆教住職の読経のなか、平和を祈願し、戦争で亡くなった人々を慰霊した。
この地蔵尊は、明治時代に住民の手でまつられた。「多眞除(たまよけ)地蔵尊」という名称にあやかり、日清、日露、そして太平洋戦争の戦時下には、「爆弾や銃弾がそれて、生きて帰ってきてほしい(=弾よけ)」という願いを込め、多くの人々が全国各地から訪れた。

しかし当時は、「敵と戦いお国の為に命を捧げる」ことが美徳とされていた時代。「弾がそれて無事に生還する」ことを大っぴらに祈願することは、難しかったのだという。そのため、この地蔵尊の場所は地図に載らず、「秘められた祈願の場所」とされてきた。
今回初めて参列した斎藤さんは「弾よけさまがあることは知っていたが、この場所にあるとは知らなかった。今日初めてきて、ここなんだ、と分かった」という。鴫原さんは「場所はどこにあるか秘密にされてきたようだが、上川崎の渡し舟を降りたところからこの場所まで、参拝者の列ができて、参拝者からのお賽銭で一斗缶がいっぱいになったという古老の話がある」と教えてくれた。
夫や息子、親族らが出征する時、なんとか生きて帰りたいと願う本人、また、帰ってきてほしいと願う家族や友人らが、ひっそりと、しかし懸命に願ったのだった。
地蔵堂に残された芳名帳には多くの人の名が
戦後70年を迎えた年、当時東和地区遺族会会長をしていた鴫原さんは、地域や家庭に残る戦争の遺品の収集を始めた。その中で、この地蔵堂にたどり着き、話を聞きつけた地域の人たちから伝わって、存在が知られるようになった。
鴫原さんが所有者の菅原さんの案内で初めて地蔵堂の中に入った時、天井からは出征旗が多数吊るされ、また地蔵尊の前にも置かれていた。板張りの壁にはすでに茶色に変色した若者たちの写真が張り付けられていた。また、出征した人の身代わりとして奉納された膨大な髪の毛が天井から下がり、そこにはセミの抜け殻が付いていた。
それだけではなく、地蔵堂にお参りした人々の住所と名前が記された芳名帳も多数残されていた。

現在、芳名帳は鴫原さんが大切に保管しており、この日持参して参列者に見せてくれた。
筆や鉛筆で書かれた一人ひとりの住所と名前。北は北海道、南は関東まで、福島県に限らず、多くの人が生還への願いをこの地蔵に託したことが分かる。
高齢化で遺族会主催での開催は昨年で終了、今後は有志で継続
これまで毎年8月16日に開催してきた平和祈願・戦没者慰霊祭に黄信号が灯ったのは昨年のこと。遺族会会員が高齢化し、継続していくことが難しくなったのだ。
だが鴫原さんら地区の有志が集まり、今年も無事開催された。
鴫原さんの父・長一(ちょういち)さんはインパール作戦に参加し、ビルマで戦死している。戦後は父不在の中、家族を支えるために苦労してきた鴫原さんも今年83歳。
「戦争の歴史や記録は平和を考えるために重要なもの。慰霊祭も途絶えさせてはならない。菅原さんと2人で、出来る限り長く続けていきたい。孫、子の代まで、ずっと語り継いでいかないといけない。地域に残る戦争の歴史をなくしてはいけない」と話した。来年1月には激戦地サイパンでの遺骨収集団への参加を検討している。

「隠された」存在から、平和を考える拠点へ
斎藤さんは、「長い間、お地蔵様、そして地蔵堂、その中にある多数の遺品を保存してこられた鴫原さんや菅原さん、関係の皆さんに感謝を申し上げたい。今、世界中で戦争が起きている中で、各国のトップである為政者には、戦争という手段ではなく、話し合いで問題を解決することを求めたい」。
実は今、斎藤さんら太田の郷地域づくり協議会は、地域おこしの活動を進めるなかで、地域の文化や工芸・技術などを記した地域マップを作成する計画を立てており、そのマップには、多眞除地蔵尊をしっかりと明記する予定だ。

戦時中は「秘められ、隠された」多眞除地蔵尊。戦争が始まって、人々は生還を祈ることしかできなかった時代だった。しかし時代は移って現代、世界中で戦争が起き、多くの命が失われている。
この地蔵尊の存在は、戦時中の苦しみや悲しみを記すとともに、希求すべき平和を考える地元の重要な拠点となっている。


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