見知らぬ誰かへ、未来の誰かへ。やさしい循環が生む「お互いさまの街」

【HOPEFULなひと】
「HOPIUSの想い」をもとに、人類に希望を見出し、持続可能で愛ある世界を目指して活動している人たちを、取り上げる企画です。社会に変革をもたらすチャレンジをしている社会起業家へのインタビューを通して、希望的な未来を発信しています。
2人目は、人と人、企業や団体がつながって貧困対策、子育て支援、フードロス対策を通じて、福島市を拠点に、県内から日本全国、ひいては地球全体を優しさであふれる「お互いさまの街」にしたいと取り組む「NPO法人チームふくしま」(福島県福島市)の代表理事・半田真仁(はんだ しんじ)さんのHOPEFULなメッセージです。
読者の皆さんは「恩送り」という言葉を聞いたことがありますか?
英語に訳すと「ペイ・フォワード(=Pay it Forward 、先払い)」。それを聞いたら、「あ、映画のタイトルで聞いたことがある!」と思うかもしれませんね。
2000年に大ヒットした米ハリウッド映画『ペイ・フォワード―可能の王国』で、この言葉が一躍有名になりました。11歳の少年が「世界を変えるためにできることは何か?」という社会科の授業で、「受けた善意を本人以外の3人へ渡す」ことに取り組み、地域の大人たちも巻き込んで、温かな社会の実現に動き出すという可能性あふれるハートウォーミングなストーリーです。
日本では、支援を受けた後にお返しをする「恩返し(英語ではペイ・バック=Pay it Back )」が日常会話でも頻繁に使われますが、「恩送り」は、自分が善意を受け取る以前に善意を渡しておく、時には見知らぬ誰かに向けて名前も名乗らずに善意を届けておくというもの。
日本の社会起業家の中でも、優しさや人と人とのつながりの中で、社会やビジネスを変革していこうという挑戦が続いています。
この「恩送り」で、優しさや温かさを地域に循環させ、誰もが安心して暮らせる地域づくり「お互いさまの街ふくしま」を目指す活動を展開しているのが、「NPO法人チームふくしま」(代表・半田真仁さん)です。
東日本大震災や原発事故で被災した福島の人たちと、全国の人たちを「ひまわり」でつなぎ、福祉作業所の雇用創出や交流増大などにつなげる「福島ひまわり里親プロジェクト」をはじめとして、福島市だけでなく全国の飲食店や事業所、個人が参加し、飲食店・事業所の利用者が見知らぬ誰かの利用料金を先払いし、恩を先に送っておく「お互いさまチケット」、事業所や個人などに食料を提供してもらい、ひとり親世帯や貧困世帯などに無人化した食糧庫を利用してもらう「お互いさま倉庫 コミュニティフリッジひまわり」(フリッジ=冷蔵庫)に取り組んでいます。
半田さんに、活動のきっかけや現在の活動状況などのお話を伺いました。

東日本大震災から被災者支援に立ち上がった福島の若手起業家、経営者たち
半田さんは広島県広島市出身。東証一部上場企業に勤務中、事故に遭い、長期入院生活の中で自身の価値観の変化を体験。「一人ひとりが輝いて、命を大切に考える仕事がしたい」と、今から18年前に福島県庁職員に転職し、福島市に移住。
福島県が行政として日本初の取り組み(当時)として始めた「ニート相談業務・特別職業相談員」として、就職サポートセンターの窓口や相談業務の統括を担当しました。
2008年に独立し、「採用と教育研究所」代表として、企業のCSR・社会貢献活動を活用した新卒採用と社員教育事業を行ってきました。移住直後から取り組んできた児童養護施設と地域の経営者との交流を通じた「笑うお食事会」を実施。現在も子どもの養子縁組や卒園生の就労のきっかけづくりを続けています。
また、同年代の若手起業家や経営者との交流を大切にしており、福島市や郡山市で飲食店を経営する吉成洋拍(ひろはく)さん、鈴木厚志さんらと、「事業活動を通じた地域貢献」を考えた勉強会や講演会も重ねています。
突然に起きた東日本大震災と原発事故―浜通りから避難した被災者支援へ
そんな中、2011年3月、突然、東日本大震災と原発事故が起きます。
福島市は東京電力福島第一原子力発電所から西へ約65キロにあり、直後から大勢の被災者が太平洋側の「浜通り」と呼ばれる地域から同市へ避難してきました。市内の公民館、集会所には多くの人たちが身を寄せるなか、吉成さんたちは仲間に声を掛けて炊き出しをしました。

発災直後から、半田さんも、友人、知人、仲間たちみんなが食料も物資もガソリンもない中でも「何かやらないといけない」「できることをやろう」という気持ちから、無我夢中で連携して、炊き出し、物資の配布と支援、放射能測定・発信等を続けました。
支援活動の中で、半田さん、吉成さん、若手経営者たち自身も、逆に県外から支援に来てくれた人たちからさまざまな支援を受けるという体験がありました。支援することで、支援される。「恩送り」と「恩返し」の循環は、東日本大震災後の混沌とした状況の中であっても、確かに続いていたのです。
吉成さんは当時、「これからどうなるのか、不安でいっぱいでしたが、僕らが何かをやることで、福島を憧れの街にすることができるのではないかと思います。世界中の人たちが『福島に来たい』と思うような街にできたら」と思ったことを2014年に語っています。
半田さん、吉成さんたちは2008年から地域活動をする若手起業家や友人らとともに「NPO法人チームふくしま」を設立し、活動していましたが、震災から2か月後の2011年5月に「福島ひまわり里親プロジェクト(略して“ふくひま”)」をスタートさせました。
まず最初に、全国の子どもたちや支援をしてくれる人たちにひまわりを育ててもらい、その種を送り返してもらうという「恩送り」から「恩返し」が循環るプロジェクトです。
被災地福島と全国の人たちを「ひまわり」でつなぐ―やさしさの循環を
「ふくひま」を始める頃、福島市をはじめ県内では、原発事故に伴って事業所が大打撃を受けていました。
福祉作業所で働く障がい者の方々もその影響で仕事がなくなり、生活が困難に。
そこで、全国で福島を支援してくれる人たちに福島県内の福祉作業所で袋詰めされたひまわりの種を購入していただき、里親となってひまわりを育ててもらい、そこで収穫された種を送ってもらうことで支援の輪を広めてもらいます。
届いた種を福島県内さらに在住の方に配布し、そこで採れた種を福祉作業所で搾油して、「ひまわりカレー」に一部活用したり、バイオディーゼル燃料に精製してバス・鉄道事業の「福島交通株式会社」が福島市内で循環運行するバスの燃料に活用。多くの人たちの支援の思いが、公共交通の燃料という形になって市内を循環しています。
この活動で、福祉作業所の雇用が増加したほか、福島県内をはじめとしてつながりが生まれた各地でひまわりが開花(ひまわり迷路やひまわり畑なども)して観光地にもなりました。
さらに、種から採れた油が県内で走るバスの燃料になるなど、エコロジカルな地域づくりにも貢献しています。
活動に協力した団体や個人の参加で、毎年3月11日前後に福島県内で「ひまわり甲子園」を開催。年間の活動について発表しています。

2025年4月現在、参加者数は累計65万人以上、参加教育機関(学校や学習施設など)6,000校以上に上ります。
学校、企業のほか、行政、地域団体も、プロジェクトに参加してひまわりを栽培し、種の収穫を行っています。ひまわりの種の県内配布数は、325,000袋以上、重さにして、3,200kg以上にもなりました。
毎年、震災が起きた3月11日前後には、活動に協力した団体や個人が福島県を訪れ、それぞれの取り組みや福島への支援の思いを発表する「ひまわり甲子園」も開催。大きな交流の場となっています。
次ページ>>
「お互いさまの街ふくしま」へ向けての船出